50.火風鼎(かふうてい)【易経六十四卦】

易経
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火風鼎(かなえ・賢者を養う/安定)

trinity:鼎立/the caldron:大釜
協力を得て、安定する時期なり。
辛苦の後に望みは達すべし。論争は避けるべし。

革物者莫若鼎。故受之以鼎。
物を革むる者は鼎に若くは莫し。故にこれを受くるに鼎を以てす。

 

物の状態を変えるには、鼎に及ぶ者はない。
鼎とは、かなえのこと。天子が、天地の神や宗廟のお祭りを行なう時に用いる器物である。三本の足で支えられている。神霊に捧げる供物を煮る祭器であり、また国家権威の象徴でもあった。
権威を疑うことを「鼎の軽重を問う」というのはここから来た言葉である。
鼎で烹れば、どのようなものでも、形を変え、あらためてしまうのである。革命によって新しい国家体制が成り立ったので、新しく天命によって天位に即いた天子は、諸般の新しい国家体制を創成しなければならないのである。
天子は、天地や宗廟の祭りを行なって、天下を養う。ここから、この卦に、養うという意味が出てくる。井は、その水によって人々を養うのだが、鼎は、火によって養う。天地の神や宗廟の祭を行ない、天下の賢人を養うのである。それによって政がうまく行なわれて、万民が養われる。
三本の足は、協力と安定を示す。三点は一平面を決定し、三本足がもっとも安定がよいのである。三人が力をあわせて、重いものを支えてゆく形、個人では三拍子そろった形で、何事にも順調な進展を示す卦である。

平和と安定ムードのあふれているときで、すこぶる気持ちの上でもルンルン気分
また物質的にも比較的充実感の見られる時である。
運勢は絶頂で、できればこのままの状態を何とか維持したいときともいえる。
この卦の火風鼎の鼎はかなえといって三本足で立っている鍋のような物であるが、これは曾つて中国で帝位継承の印に使われたもの。
これから信頼と威厳、安泰感を現したものとみなされる。
だから調子に乗って威張り散らしたり、力もないのに社長や代表者になったりすると俗に言う「鼎の軽重を問われ」たりするすることになるから注意が肝要。
幸運を持続さすためには、何事も単独で事を運ぶことなく、三本足で鼎立している鼎のごとく、三人寄って相談ができるように少なくても二人は頼りになれる人を作っておくことである。
[嶋謙州]

新しい建設の後段階、成就安定の卦であります。
鼎は、かなえ三本足の容器のことであります。
三者鼎立という言葉は、ひとつのものを三人で支えあって、一人ではできない仕事も三人なら成就することができるという卦であります。
この大象をみますと、君子以正位凝命―君子以って位を正し命をす、とあります。
つまり鼎の安定した形に則り、自分の位置を正しくし、天命を全うする、ということでありますから、すべてがととのう、または位が定まるという意味であります。
そこで革命は、革と鼎のふたつが、うまく組み合って成功するのであります。
[安岡正篤]

鼎。元(吉)亨。

鼎は元いに亨る。

※彖伝を見ると、元亨だけを解釈して吉の字に全く触れない。吉の字は術文であろう(程氏、朱子)

革卦䷰を反対にするとこの卦になる。
『鼎』は『かなえ』のこと。『鼎立』は、その鼎が三本の脚で立っていることを表す。
『鼎の湧くが如し』は、かなえの中の湯がわきかえるように、多くの人が騒ぎたてて混乱するさまにいう。また鼎は食をととのえる器である、直ちにその人の生活を象徴する。ひいては、人間の度量や地位なども示すところから『鼎の軽重』とも表現される。
鼎卦䷱の形は、鼎を横から見たさまに似ている。すなわち初爻は鼎の足に、五鼎の耳の部分に当たる。それに上下卦の象でいえば、下は☴木であり、上は☲火である。つまり薪を燃して煮る、鼎の働きを示す。古代中国に於ては、王者の権威を示す最も貴重な宝であった。それは神を祭り、賢者を養うための器。その怪奇な文様は悪霊を鎮め、時としては鼎に法律を刻みこんで民に示す。革命の卦のあとに鼎の卦が続くことは象徴的である。
新しい王者の第一に作るべきものは鼎である。王が鼎を鋳、法律を作って、新しい時代に即応することは、大いにめでたい。また、この卦は䷸巽から来た。巽六四が九五と入れ換わったのが鼎䷱である。
柔爻が五の位に進み、しかも下卦の九二と「応」ずるという良き形があるので、その点でも元いに亨るの徳が附せられる。
占ってこの卦を得た人、その徳あれば、王者に養われて、願いごと大いに亨るであろう。

彖曰。鼎。象也。以木巽火。亨飪也。聖人亨以享上帝。而大亨以養聖賢。巽而耳目聰明。柔進而上行。得中而應乎剛。是以元亨。

彖に曰く、鼎はしょうなり。木を以て火にれて、亨飪ほうじんするなり。聖人はほうして以て上帝にきょうして、大いにほうして以て聖賢を養う。そんにして耳目聰明じもくそうめいなり。じゅう進んでのぼり行き、ちゅうを得て剛に応ず。是を以て元いに亨る。

に入るの徳があるので巽ると訓じた。『亨飪』の亨は烹と同じ、煮る。聖人亨、大亨の亨も同じ。『飪』は良く煮る。『享上帝』の享は供物をそなえて祭る。この卦を鼎と名付けるのは、卦の全形に鼎の象があるからである。また、下卦巽は木であり、入るである。上卦離は火である。木を火に入れて、煮る。だから鼎になる。聖王は鼎を用いて、犢を烹て、天帝を祭り、牛羊豕を盛大に煮て部下の聖人賢人を養う。天を祭る場合の供物が少ないのは誠意が主眼だからである。

古代中国では国を訪れる賢人を城に招き、豪華な食事を振る舞い、今でいうシンポジウムを開いていた。当時の賢人たちは情報の宝庫であり、また賢人と語らうことは外部の意見を聞く貴重な機会であった。そのために天帝への供え物よりも多くのものを賢人たちに饗して遇した。国を守るために賢人の意見に耳を傾けることは、昔も今も重要なことである。

鼎は王が賢人に饗する際にも用いられた。賢人が多く集まれば鼎は重く大きくなる。巽は従順、謙虚。リーダーが謙虚に賢人の意見に耳を傾け、耳目聡明であれば、国の権威は保たれ、鼎の軽重を問われることはない。

内卦巽は順である。外卦離は目であり、また六五は鼎の耳に当たる。故にこの卦は、内心従順で、外に向かっては耳目聡明という徳を示す。
その上、この卦は巽䷸の六四の柔が進んで昇り、五の中位を得て、下の九二の剛と「応」ずるという良き形である。卦の徳からいっても形からいってもめでたいので、元いに亨ると判断する。

象曰。木上有火鼎。君子以正位凝命。

象に曰く、木の上に火あるは鼎なり。君子以てくらいを正しめいあつむ。

『凝』は『中庸』の「いやしくも至徳ならずば、至道あつまらず」の凝と同じ、聚、成の意味。この卦は木の上に火がある。物を煮る形だから鼎という。鼎は形が端正でどっしりしている。君子はこの鼎に法とって、朝廷に臨む場合、その坐るべき位に端然と重々しく坐って動かない。かくてこそ天から受けた命を失うことなく完成することができる。

初六。鼎顚趾。利出否。得妾以其子。无咎。 象曰。鼎顚趾。未悖也。利出否。以從貴也。

初六は、鼎趾かなえあしさかしまにす。だすに利あり。しょうを得てその子におよぶ。咎なし。
象に曰く、鼎趾を顚しまにするは、いまだそむかざるなり。否を出だすに利あるは、以てに従うなり。

『趾』は足。否は臧否ぞうひ(よしあし)の否。
初六は鼎卦の一番下、つまり鼎の足に当たる。初六は上に向かって九四と「応」ずる。足が上に向かえば鼎はひっくりかえる。悪い意味のようだが、まだ卦の初めで、鼎に御馳走はまだ入れられてはいず、黒の底には古い悪いもの(=否)が溜まっている。
鼎が顛倒することによって悪い物が出てしまえば、却って有利である。否を出だすに利あとはそのこと。
そもそも鼎の卦は、その『故きを去った』ものへ新しいものを入れて煮て行くところから始まる。新しいものを取り入れ、鼎の中で煮る為には、先ず、今まで煮ていた残り滓をさらい出し綺麗にしなければ、せっかく新しい食材を入れても不味くまずくなったりして台無しになってしまうから、鼎を逆さまにして残り滓をぶちまけてしまうのである。
この卦を逆さまにすると、革の卦となり、革は革まるで中が綺麗になるのである。
それを象に即して言えば、初六は卦全体から見ると鼎の脚に当たる。
『妾を得てその子に以ぶ』~以には及の意味がある。妾を蓄えることは養生に於ては失策である。鼎が顛倒するようなものである。しかし、妾を得たことによって、ひいて自分の後嗣ぎを得るならば、却って良策であったといいうる。あたかも鼎の顛倒が旧悪を洗い流す結果を生むようなものである。これも『故きを去』って新しいものを取り入れる一つの例である。
この爻の占断は咎なし。顛倒の失敗が却って成功となり、妾という賤しい者によって貴い世嗣ぎを得るのだから、咎はない。
占ってこの爻を得た場合、失敗はするが、それが成功の種となる。始めは位低くとも、後には出世する。象伝の意味、鼎の足が顛倒するのは道に悖くようだが、否いものを捨て去って貴いもの、つまり上卦九四に従うのだから、必ずしも悖いてはいない。

九二。鼎有實。我仇有疾。不我能即。吉。 象曰。鼎有實。愼所之也。我仇有疾。終无尤也。

九二は、鼎にじつあり。我が仇疾あだやまいあり、われく能わず。吉なり。
象に曰く、鼎に実あるは、くところを慎しまんとなり。我が仇疾いあり、ついとがなきなり。

火風鼎は養いについて説かれた卦である。養いの卦は水風井も同様だが、水風井は水をもって養い、火風鼎は火をもって(食べ物を作り)養うという卦である。
『実』は、中身。九二は陽だから充実の意味がある。それに下卦の「中」だから、鼎の中を充す物である。故に鼎に実があるという。
『我が仇』とは初六を指す。陰と陽は相い引くが、初六は「不正」(陰爻陽位)で、本来九二と応ずる立場にはない。つまり初六は悪い病気を持っていて(=有疾)九二を同じ病気に染まらせようとするもの、九二にとっては仇である。けれども九二が、剛毅(陽爻)中庸(中)の徳を以て自分の身を守るならば、身近い初六も自分に取りつくことはできない。
初六の時、鼎を逆さまにして中の残り滓を出し、九二で料理するための具材を入れた。しかしまだ、すぐ近くには出した残り滓がある。(これを病に喩える)
この残り滓が、まとわりついてくるわけだが、料理が汚れてしまわないようによく注意しているので、吉であるという。
象伝の意味、鼎に内容があるというのは、人間でいえば才能があること、進む方向に気を付けなければいけない。我が仇に悪疾があるが、自己を守って染まらねば、結局咎はない。
占ってこの爻を得れば、悪に誘う者が身近にいるけれども、自分の道を慎めば、咎はない。吉である。

九三。鼎耳革。其行塞。雉膏不食。方雨虧悔。終吉。 象曰。鼎耳革。失其義也。

九三は、かなえ耳革みみあらたまる。その行塞みちふさがる。きじあぶらあれども食われず。まさに雨ふらんとしてくいく。ついに吉なり。
象に曰く、鼎の耳革まるは、その義を失するなり。

『鼎の耳革まる』~革は古きを去る意味で、ここでは鼎の耳がとれてしまう。『方』は将と同じ、まさに何々せんとす。
九三は鼎䷱の腹の部分に当たり、陽で充実の意味がある。鼎の腹に美味ななかみがあるかたち。しかし、剛爻剛位だから剛に過ぎ、内卦の「中」を外れているので中庸を得ない。六五が鼎の耳に当たるが、九三はそれに「応」じない(三の応は上)。つまり鼎の耳を失うのである。革の字を用いたのは、九三は上下卦の接点、変革の時点であるから。
陽爻で、鼎に実ある象であり、しかも三陽の真ん中にあって、一番美味しいところに当たる。それを雉の膏に喩えた。
陽位に陽でおり、しかも巽の極にあって外卦の離火と接しているのだから、これは火の最も激しいところと見られる。そのため鼎の中味が沸騰しすぎて耳の形まで革まり、これに鉉をかけて火の中から引き出して、中の物を食べることができない。
鼎の耳がとれてしまったのでは、鼎を持ち上げて動かすことは不可能である。故にその行塞がるという。(食べられるはずの物が食べられない)
この鼎には担いで運ぶために鉉を通す耳が付いている。耳が壊れていたら供物を運べない。そのため、鼎の耳は国の権威を保つための要として『王の耳』に喩えられる。鼎の耳に空いた穴には、賢者の諫言・智恵・明知を表す『金鉉』が貫いているところから、虚心に人の意見を聞く一国のリーダーの耳を『黄金の耳』という。
鼎は賢者を養う器、その耳がとれ、道が塞がるとは、出世ができないことを意味する。雉のあぶらみは最も美味なるもの、陪鼎(ばいてい・二の膳)に雉の腊(ほしにく)を用いる礼がある。上卦離は鳥だから、雉の字が出て来る。
雉膏を食えないのは、六五の君から禄をもらえない意味。かように不遇ではあるが、とにかく九三は「正」を得ている(陽爻陽位)。身を正しく守れば、将来に於て六五の君と肝胆相照らし、陰陽相和して(三は陽、五は陰)、雨となるであろう。雨は陰陽和する時に生ずる。かくて予想された悔いもなくなるであろう。
占ってこの爻を得れば、初めは道塞がり、禄も得られないが、正を守れば、悔いもなく、最後には吉を得るであろう。象伝、義を失すは、五と応ぜず、相い合う道を失うこと。

九四。鼎折足。覆公餗。其形渥。凶。 象曰。覆公餗。信如何也。

九四は、鼎足かなえあしを折る。公のこながきこぼす。その形渥かたちあくたり。凶。
象に曰く、公の餗を覆す、信如何しんいかんぞや。

『公の餗』~餗は、天帝を亨り聖賢を養うための鼎の中に盛られた珍味。
『形渥』~鼎の体がびしょ濡れになること。
三陽爻の極にあって、内容の重さが最も大きい所である。それを支えるのが応爻の初六だが、陰爻ゆえ足の力が弱く重みを充分に支え耐えかね足を折ってしまい、鼎がひっくりかえる。
九四は下の初六と「応」じている。初六は陰柔、小人である。九四はこれに委任する。当然その任に耐えず、事をだいなしにしてしまう。鼎の足が折れて、君の御馳走をひっくりかえし、鼎の体がずぶ濡れになるのと等しい。
繋辞伝にこの爻辞を引いて「徳薄くして位尊く、小にしてはかりごと大に力少なくして任重し。及ばざるはすくなし」という。
占ってこの爻が出れば、身に余る大任を負うて失敗する。凶である。後世覆餗(ふくそく)と熟語に用いるのもその意味である。象伝、『信』とは、事を託した人に対する信義。『信如何』は信義がどこにあるか、信義が果たせないの意味。

六五。鼎黄耳金鉉。利貞。 象曰。鼎黄耳。中以爲實也。

六五は、鼎黄耳かなえこうじあり金鉉きんげんあり。貞しきに利あり。
象に曰く、鼎黄耳あるは、ちゅう以てじつとなすなり。

『鉉』は鼎の耳に通した吊りかなわ
この六五は、主卦の主爻で、二~四が、鼎の胴であったのに対しこれは鼎の耳に当たる。鼎は物を調理して聖賢を養うとともに、その善言を容れる耳目聡明を尊ぶものである。
それには自分を虚しくしなくてはならぬので柔中を得ているこの六五は鼎の道に適っているのである。
黄は中の色。五は上卦の「中」だから黄耳という。黄金の耳。『金鉉』の金は堅剛なるもの、九二を指す。五は陰であり、これを虚しくして(陰は空虚)、九二の剛爻に「応」ずる。九二がやって来て六五と一体になること、鼎の耳に金の鐶が通ることに相当する。占断は貞しきに利あり~正道を固守すれば利益があろう。象伝の意味は、六五は陰で本来空虚だが、中の徳をなかみにしていること。中はもとより黄耳の黄に当たる。

上九。鼎玉鉉。大吉。无不利。 象曰。玉鉉在上。剛柔節也。

上九は、鼎玉鉉かなえぎょくげんあり。大吉。利あらざるなし。
象に曰く、玉鉉かみに在り、剛柔せつするなり。

上九は鼎の形をした卦の一番上、鼎の吊り鐶、鉉に当たる。
『鼎、玉鉉』というのは、六五で金鉉といったその鉉に玉の飾りがついていると見る。
鉉が、鼎が自分を利用して利益を得ようとするような小人ではなく大人であるならば吉であって利ろしからざるなしである。そしてこの上九が玉鉉というほど立派なものであれば、大である事は当然だから、大いに吉を得て利ろしからざるなしなのである。
陽が陰位におる、ということは剛と柔がうまく調節されていること。硬いなかに温か味があるのは玉である。されば上九は玉で作った鉉である。占ってこの爻を得た人、剛毅のなかに温か味があれば、大吉であり、あらゆる事に於て有利であろう。

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