49.澤火革(たくかかく)【易経六十四卦】

易経
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澤火革(変革・革命/革新)

revolution:革命
旧弊を打破すべき時期なり
改革を断行するまえにはよく省察すべし

井道不可不革。故受之以革。
井の道は革めざるべからず。故にこれを受くるに革を以てす。

井戸を治めるには、井戸さらえをし、水を革めて清潔を保たなければならない。
革とは、あらためること、変革すること。革の字は、毛を除き去った獣の皮のこと。獣皮から毛を取ってしまうと、全く違った物になる。そこから転じて変革の意に用いる。革命、革新、変革の革であり、古いものを変えて新しいものを創り出す過程である。
革新は単なる変化ではない。そこには積極的な価値が含まれている。


今までやってきたことをこの際すべてやりかえて新しい体制のもと物事を始めるとか、永年の間考え計画してきたことを極力実行に移すといったムードの時。
何か古いものから新しいものに流れが変わろうとしている時、現状維持ではなく何かやりたい、やらねばならぬとき、そういった動きが強くみられる。
運勢は無論上向き加減で、これからやり様によってはいくらでも伸びるだろうが、反面、油断をすれば前よりも悪くなるとも云える吉凶背中合わせにあるからどちらに転ぶかわからない。
もし物事でも始めるなら、よく計画を練って悔いを残さぬように慎重にやって欲しい。
革命とは政治的な匂いもし、そういう意味もあるが、実際は【命を革む】、即ち運命が変わり新しく出発することを意味する。
[嶋謙州]

個人でありますと、自己を掘り下げて解決をはかることができますが、それがひとつの団体となり国家となり、あるいは時局となりますと、いきづまった場合の解決は、この革の卦であります。
この卦は、よく次の鼎とまちがえて、革命というとすぐ過去を破壊して新しい建設を考えるのでありますが、革の卦はまだその前段階でありまして、これは建設まで至りません。
どちらかといえば破壊し、捨てる、掃除をするということであります。
今までずるずると因襲的にやってきたのを思い切って改める。
そこで革の字を「あたらめる」とも読みます。
そこで一番大事なことは、その中心人物代表人物が思い切って古い因襲的態度、生活、思想、行動などを改める。そしてこの中心人物を補佐する者がそれに準じて新体制をとることであります。
五爻:大人虎変上爻:君子豹変
[安岡正篤]

革。己日乃孚。元亨利貞。悔亡。

革は、己日きじつ(已日)にして乃ち孚あり。元いに亨る貞しきに利あり。悔亡ぶ。

革の字はもと皮革を意味する。爻辞に黄牛之革とあるのはそれである。皮革の字が改革をも意味するのは、獣の皮をなめす操作、腐る部分を除いてぴかぴかにする操作に、改革、変革の意味があるからである。この卦は革をなめす象がある。上卦が沢で下卦が火、獣皮を沢に漬けて下から火であぶっている。また下の☲は形が竈に似ている。上の☱は竈でいぶされている皮に似ている。つまり下二陽は皮の堅い部分に、上の一陰爻は毛を除去されつつある表面に当たる。なめされた革はもとの獣皮と面目一新するが内なる実質は変わらない。王朝の革命も、制度風俗すべて改まるが、国を治める大本の道は変わらない。
『己日』が難解である。大体、古い書物では『』『』『』たがいに区別がない。清の王夫之おうふうしは巳日と見て太陽が辰巳の方角にかかる時とする。しかし他の卦辞、蠱䷑の『先甲三日』、巽䷸の『後庚三日』などの例から推して、これはやはり十干の己、戊己の己方がよさそうである。
清の顧炎武こえんぶによれば、十干で戊己が真ん中。己の日になれば真ん中を過ぎる。盛りを過ぎてまさに変革さるべき時である。変革、革命ということは、真ん中の盛りを過ぎた日、変改さるべき日(=己日)に行なって、始めて(=乃)、人々は信じて従ってくれる(=孚)。元亨・利・貞、乾卦に見られた四つの徳が揃ってめでたい。

内卦は明、外卦は説ぶで、文明の徳あって人が悦服するからである。悔亡とは、変革ことに革命のごとき非常の事にはいくらかの悔いが付き纏うのは当然で、四徳具わって始めて悔いがなくなる。

改革・変革をするには、古い体制による弊害が及び、その盛りが過ぎた頃の適切な時期に行うのがよい。それならば人々の信任が得られる。
先見の明があれば、早い段階から改革の必要性を察するが、かといって弊害が及ぶ前にと焦っても、時が至らなければ改革は成り立たないものである。
占ってこの卦が出た場合、改革しようとする意図みな大いに亭るであろう(=元亨)。ただしその動機が正しく、改革がみな当を得ている場合にのみ(=利貞)、改革に避けがたい後悔も未然に消滅する(=亡)。もし少しでも不正があれば、その改革は信ぜられず、願いも亨らず、却って悔いがあろう。

彖曰。革。水火相息。二女同居。其志不相得。曰革。己日乃孚。革而信之。文明以說。大亨以正。革而當。其悔乃亡。天地革而四時成。湯武革命。順乎天而應乎人。革之時大矣哉。

彖に曰く、革は、水火すいか相い息す。二女同居して、その志し相い得ざるを、革と曰う。己日きじつにして乃ち孚あり、革めてこれを信ずるなり。文明にして以て説び、大いに亨りて以て正し。革めて当り、その悔い乃ち亡ぶ。天地あらたまって四時しいじ成る。湯武命とうぶめいを革めて、天に順って人に応ず。革の時大いなるかな。

『息』は滅熄そくめつ(きえる)の意味と生息(のびる)の意味を兼ねる。冒頭、上下卦の象で革の意味を導き出す。上が沢で水、下が火、水が火にかかれば、一旦えるがまた新しくもえ出す、改革の象がある。また上卦は少女、下卦は中女、二女が同居すれば気持ちは互いにしっくりゆかない。その点、睽卦䷥と似ているが、睽ではそのまま相い離れた。ここでは二女あくまで相剋するので家に革命が起こる。
『己日にして乃ち孚あり』とは、変革して人が自分を信じてくれること。改革者に文明の徳があるので、人が悦服する。かくてこそ改革の願いは大いに通り(=元亨)、しかも正道を踏み外さない(=利貞)。
改革のしかたが当を得ているから、改革に付きものの悔いも意外に消滅する(悔亡)すべて変革ということは天地の動きに沿った行為である。天地陰陽の気が常に変革してこそ、四季が成立し万物生ずる。
殷の湯王周の武王の革命も、上は天の命に従い、下は民の心に応じて、やむにやまれずに起こった現象である。この卦に示される変革の時とは、偉大なものである。

天地の気が変革して四季がなる。夏王朝を滅ぼして殷王朝を開いた湯王、殷王朝を滅ぼして周王朝を開いた武王の革命も天意に違わない道であり、民衆の苦しみに応えたものであった。
革命には大義名分が必要である。それが、『順天応人~天に順って人に応ず』。私欲や私怨ではなく、天に従い、民の願いに応えるような革命・改革は偉大なものである。
大体、儒家は革命に肯定的である。孔子はさほど明らさまに言わないが、孟子は最も明快で、天子は天の命を受けて天子になる。天命の有無は民心の向背に現われる。民心の離反した天子は、もはや天命を失った者であり、民心の集まった、新しい受命者によって打倒さるべきだという。

象曰。澤中有火。革君子以治歴明時。

象に曰く、沢の中に火あるは革なり。君子以てこよみを治め時を明かにす。

『歴』は暦と同じ。沢☱の中に火☲がある。水盛んなれば火に勝ち、火盛んなれば水に勝つ。陰陽相剋して、四季の変革を生ずる象だから、革という。君子はこの卦に法とって、暦を制定し、季節の推移を明らかにする。
古代中国では、農業が生命なので、暦の頒布が王者の重要任務であり、王朝が代われば、暦を新たに定めるのが常である。故に革命のことを正朔(こよみ)を改めるともいう。

初九。鞏用黄牛之革。 象曰。鞏用黄牛之革。不可以有爲也。

初九は、かたむるに黄牛のつくりかわを用てす。
象に曰く、鞏むるに黄牛の革を用てするは、以て為すあるべからざるなり。

『鞏』は固。『鞏むる』は『束ねる』ことだが、それを黄牛の革のような強靭なものでするのだから、あくまでも動かないように縛っておくということになる。黄牛の革は、遯䷠の六二にもあった。
変革の時であるが、初九は卦の最初であり、陽位に陽でいて位は正しいのだが上に「応」もない(四も陽)。また火の燃えかけのところで力も弱く明らかでもないので、革を行えば必ず失敗する。だから積極的に何かを為そうとしてはならない。ただ固く身を鎧っているがよい。
爻辞はそのイメージ。黄色い牛の革で身を固める。黄は中の色(黄土=中央)、中庸の徳を暗示し、牛は従順の徳を暗示する。
占ってこの爻を得たら、中庸と従順の徳で身を固め、進んで何かしようとしてはならぬ。変革のことは慎重に運ばねばならないから。

六二。己日乃革之。征吉。无咎。 象曰。己日革之。行有嘉也。

六二は、己日きじつにして乃ちこれを革む。いて吉、咎なし。
象に曰く、己日これを革む、行きてよろこびあるなり。

この六二は、内卦離の中爻で、革める側の主となる爻である。
六二は柔順(陰爻)で「中正」(下卦の中、陰爻陰位)、下卦☲の主たる爻。☲は明だから、文明の徳の持ち主、革命の主体である。上には九五の応援がある。革命の旗を挙げてよい。しかし己の日、現支配者の盛り過ぎて変革すべき時が来て、始めてこれを革めるがよい。このようにすれば前進して吉、咎もない。占ってこの爻を得た人、急いで変革してはならない。

九三。征凶。貞厲。革言三就。有孚。 象曰。革言三就。又何之矣。

九三は、征けば凶。ただしけれどあやうし。かく言三ことみたびりて、孚あり。
象に曰く、革の言三たび就る、又何くにか之かん。

『革言三就』~就は成る。変革をなすべきや否やについての議論を三度まで繰り返して、三度とも成る、意見が合う。
九三は離の極まるところにおるため、火の性質の中の激しい面を見せる。改革を行うにしても急に過ぎ、暴に流れ、しかもその機の熟さないうちに決行して失敗の憂き目にあう。故に『征けば凶』と戒めている。
九三は剛爻剛位で、剛強に過ぎ、下卦の「中」を過ぎて、極点におる。変革に性急で猪突する者。故に占断として、前進すれば凶、事は正しいけれど危ういという。けれど上下卦の切れ目なので、時機としては、もはや変革すべき時である。故に革むべきか否かについて三度まで衆議一致すれば、人に信ぜられて(=有孚)、変革は成功しよう。
改革の時期を早まって進むと、いくら気持ちは正しくとも失敗する危険性がある。改革を決行するまでには、改革を求める理由を再三述べ、賛成反対の議論が何度も行われるという過程が必要である。そうした過程を経て、改革の機運が大衆の間に広まり、それが世論となって、はじめて信頼を得られるものだ。
象伝の意味は、衆議三度まで一致したら、もはや別途には行けない。変革すべきであるということ。

九四。悔亡。有孚改命。吉。 象曰。改命之吉。信志也。

九四は、悔亡ぶ。孚ありてめいを改むれば、吉。
象に曰く、命を改むることの吉なるは、志しを信ずればなり。

『改』は革と同じ。有孚、象伝の、志を信ずがその解釈。
九四は陽が陰位におる。「不正」だから悔いがあって当然である。しかし時はすでに革卦の半ばを過ぎ、上卦の水と下卦の火がせめぎあう瀬戸際、まさに天命を革むべき時である。この時に当たり、九四は陽爻陰位、つまり剛柔兼ね備えている。すなわち怯儒(きょうだ)でなく猪突もしない性格、革命者として適任である。故に予想された悔いも亡ぶ。ただしすべての人がその志を信じてくれて(=有孚)、然る後革命を断行するのならば、吉である。
占ってこの爻を得た場合、占者に然るべき徳があり、革命の必須な時であり、みなに信ぜられているならば、革命をしても、悔いはなく、吉であろう。

九五。大人虎變。未占有孚。 象曰。大人虎變。其文炳也。

九五は、大人は虎のごとく変ず。いまだ占わずして孚あり。
象に曰く、大人虎のごとく変ず、その文炳あやあきらかなり。

主卦の主爻で、改革が行われ、それが見事に成功する象である。
『変』とは獣の皮が夏は毛が脱けて色あせ、秋冬には毛深く美しくなること。『文』は文様。『炳』は輝かしい。さて九五は陽剛で「中正」(外卦の中、陽爻陽位)、革卦の主たる位置にある。大人に当たる。革まるの時に於て、大人は自己を改革し、周囲の人々を改革し、ひいては天下の革命を成し遂げる。
その天下を変革させるしかたは、継ぎ剝ぎの補填ではなく、一切の文物、目も鮮やかに面目一新する。あたかも虎の文様が秋来るとともに色を変じて輝き出るように。
『虎変す』とは、改革が制度から文化文明にまで及び、一新して完成したことを表す。改革を虎の紋様に喩えるのは、それが補填ではなく、すべてを改めることであり、あたかも一つながりの紋を描くようでなくてはならないからである。
虎と限定したのは、虎は獣のうち最も威あり、人でいえば大人に当たるからである。占ってこの爻を得れば、革命が成功する。ただし次の条件付きで。すなわち、『未占有孚』~占う以前から人に信じられているならば。

上六。君子豹變。小人革面。征凶。居貞吉。 象曰。君子豹變。其文蔚也。小人革面。順以從君也。

上六は、君子は豹のごとく変ず。小人はめんを革む。征けば凶、居れば貞しくして吉。
象に曰く、君子は豹のごとく変ず、その文蔚あやうつなり。小人は面を革む、順にして以て君に従うなり。

君子は大人より一段下。豹も虎より光彩が下る。『蔚』は鬱と同じ、盛んであるが内にこもる点で、前の炳に劣る。
九五の大人に対し、この上六には君子とある。それは剛健中正をもって君位にある九五と、柔正をもって君の顧問ともいうべき位に居るこの爻との相違を見たもの。また、虎変に対する豹変にも同様な相違がある。
虎の毛の模様は大きくはっきりした鮮やかさがあり、それが炳然たる変わり方をするのに対し、豹の毛の模様はそれよりも細やかに濃い鮮やかさで変わる。
すなわち虎変は君たる者の革であり、豹変は庶政の道に当たる師伝・宰相・諸侯などの改革である。
『大人虎変』は、もっとも見事な変革の完成を表すが、それに感化されて周りの人々が次々に『豹変』するのである。
上六は革卦の窮極。革命の完成したあとである。士大夫(=君子)は時代の推移に従って、自己を変革し、新しい文化の建設に貢献すること、あたかも豹の毛が季節につれて抜け変わり、文様が美しくなるように、鮮やかである。ただ九五の大人、創制者自身とは立場が違うだけに、虎の文様ほど大きくは変われないが。
庶民(=小人)は、結果を享受するだけなので、ただ顔つきを革めて、おとなしく新しい君(九五)に従う。革命のあとは無為安静にしているのがよい。積極的に行動しようとすれば凶(=征凶)。じっとしていることが、正しくて吉(=居貞吉)。

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