怒涛の壬水ウーマン【実占鑑定文実例】

実戦鑑定実例集
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2007年:某コミュニティ無料鑑定現場での実際の鑑定文(多少のリライトあり)
命式を通じで飛び込んでくる『解』のイメージを言語化した具体例です。八字はあえて非公開にしています。PCソフトから出力したような紋切り型の文章ではない、人工知能AIには決して真似のできない血の通った鑑定文例として公開いたします。

壬水の怒涛ウーマン

日干が癸水であるあなたの命式の特徴は水氣が多いことです。水に縁のある命式です。
一般的に癸水の解釈は雨のようなイメージとしますが、根が強ければ壬水の如く強力なものとなります。癸水は強さを好み、弱いことを忌みます。あなたの命は根がしっかりしており、月干:壬水との

関係は良好です。とても素晴らしいキレイな命式です。
礼節と信義と愛情が篤く人から尊敬を受けます。人の幸せを心から願える人です。裏表がなく信用できる人です。頭がとてもよいです。申し分のない命式です。
留意する点は、憂世に生きている限り知略に走りやすいので、あえて直観を重視し『心の命ずるまま』に行動する方が開運に通じると思います。

もともと直観やインスピレーションを発動する方なのですが、同時に知力も強いので、憂世に生きる限り知に偏りのは当然だと思います。知とインスピレーションが拮抗しています。私の直観的イメージは『怒涛の壬水ウーマン』となります。
なんでも自分の思い通りの人生を送ることができます。
※ただし、知に偏らないことが条件になります。

一般的な解釈では、癸水は雨露のようなイメージとして受け止められていますが、あなたの場合、根があり強いので、壬水のように強くなります。したがいまして、壬水のような生き方になりやすいということになります。
ただし、『壬水の如く生きるをよしとする』とはニュアンスが違います。
といいますのは、壬水の生き方というのはいろいろあって、金品や人間の欲望に絡んだことが多くなります。

欲望やお金自体が悪いものではありませんが、欲望の方向性が狂ってくるとお金や色恋沙汰で苦悶することが多くなるのです。かといって壬水がそういう問題を起こすというわけではありません。いずれにしても四柱組織全体を観ないとなんともいえないわけです。
あなたにおきましては、『壬水の怒涛ウーマン』と譬えました。

大河のごとく悠々と堂々とそして時に激しく、自分の人生を歩んで行ける人なのです。
本質が大河なのに、自己イメージがどぶ川(失礼!)では、この世に命を与えた神様もお嘆きだろうと思います。

そういう自己イメージがあるとするならば『壬水の如く生きるが吉』ということになります。
では次に、『命式的に火に傾くとか水に傾くとかいうアバウトでとらえどころのない『解命』的表現を具体的に表現することにします。

まず、あなたは知に偏りやすい傾向にあります。というのは常に思考が巡っているからです。思考することがよくないというのではなく、常に巡っている思考をときには停止させて深い心の奥底から湧き出る魂の声に耳を傾けてはいかがでしょうか。

これは一般的には『瞑想』とか『座禅』とか『メディテーション』とかいうものでしょうけれど、私は別にそれらをオススメしているわけではありません。
アタマの思考(雑音)を止めるということは、心に静けさをもたらすことで、そのテクニックとして『瞑想』とか『座禅』とか『メディテーション』があるわけです。
しかし、これまたいろんな方法があって呼吸法から座り方からイメージの仕方から、いろんな方法があって統一されていません。

身体をこういうふうに保って、息を何秒間止めて、●●をイメージしてとか、いろいろと細かくて複雑です。それをいちいち守ろうとする、これでいいのだろうかとか、アタマの思考がぐるんぐるん巡ってきて心はいつまでたっても平静になりません。
かえって以前よりアタマに囚われたりなんかします。

ですから、難しいことはやめて、ただ目をつぶって呼吸に意識をしているだけでいいんです。呼吸を感じるだけでいいんです。これが一番カンタンな瞑想です。
あまりにカンタンすぎて本に書いても売れないから誰も知らないだけなんです。

とにかく、あなたは御自分で気づいていないだけで知に傾きやすいので、超カンタンな瞑想などをして、知を鎮め、そして情と意とのバランスをとればいいんです。
知の部分はもういいですから。
・情=思いやりをさらに深める
・意=考えるよりまず行動
と、このようにインスピレーションという表現がぬるくてよくわからないようでしたら、私はあえて【本能】という言葉を使いたいと思います。
ですから、こんなキレイな命式を持っているあなたは、命式のまま本能のままに素直に行動したらいいと思います。

あなたの命式には木がありません。だからといって、木の通変である食傷の性情が薄いとかないとか、そういう判断はしていません。したがって、「思いやりをさらに深める」という記述は、無食傷と関連してのものではありません。

では、木がない命式に木気巡るときに運がよくなるのか?といえば、必ずしもそうとはいえません。たとえば水が強ければ洩し、あるいは尅さねばならないとか、不足(または無)しているところには大運、流運をもって補うという考え方は論理の基本だと思います。しかし、実践鑑定におきましては不及(不足)、大過といって、そのことを特別クローズアップするのも考えものだと思います。

そもそも私の心内に『既存の理論と実践に耐えうる理論は違うのではないか』という問題提起が根底にあります。
机上理論からすれば、あなたに不足している木の年には運気が安定、または良くなると判断するのが当然だと思います。もっともあなたと似たような命式を持った方(木がない)で木の年は、とても良い時期でした。というケースもあると思います。

しかし、残念なことに実際は理論どおりにならないのものなのです。
かといって、大運の理論が間違っているなどというつもりはありません。
もっと別の要素が絡み合って運を創るのだと私は考えています。

私心のないという条件がつきますが、自分の気持ちに従ったそのときの選択はすべて正しいものです。これは誰にでも言えることです。
誰しも過去を振り返って、「ああ、あのときこうすればよかった」と、そうすれば運は変わっていただろうと思うときがあります。たとえ、そうしたとしても結果が逆転することはなかったと思います。

といいますのは、電車が走り出したら急に止まらないのと同じ理屈で、ある方向へ向かっていきつつあるときは多少のことでは止められませんし、進路を変更するのも不可能に近いです。脱線させることもできるでしょうけれど、それで問題が起きないわけがありません。

また、火事の初期消火にもたとえることができます。バケツの水や消化器で消える火のレベルならなんとかなりましょうが勢いがついたら消防士がきても難儀します。
『大事は小事より起こる』というように、結果が悪いとすれば、悪い結果に至る原因がどこかで芽吹いていたはずなのです。気づいたときに消火するなり、芽を摘んでおけば大事には至らないという理屈です。

したがいまして、人生における禍福は四柱推命の理屈どおりにはなりません。
ということは、いかようにも人生をクリエイトできるということなのです。
四柱命式はいわば運命の原図ともいうべきもので、命の種ですから、肥料や水やり日照の条件で結果が変るということになります。
その人に合った人生を歩んでいるかどうかかが幸、不幸を決定するのではないでしょうか。

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