【龍青三の占いエッセイ5】占いは活用してナンボ

四柱推命
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占いは活用してナンボ:2007年06月09日

ひとくちに『占い』といいましても、それこそお遊びの類から、占いの原点であるところの亀の甲を火であぶりひび割れを見て天意を知る、あの、いにしえの占いまで、実にさまざまなものがあります。

占い好きな人は占いに多大な期待を寄せるあまり、自分が期待していることと違ったりしますと、
「あたしのこの占いの結果は何なんなのよッ、ふざけんじゃないわよ!」
みたいな、過剰な反応を示す方もいます。

世間様の多くは占いに対してお遊び的なもの、あるいは、アヤしげなもの、とみているようですから、占いごときにこのような過剰反応をする人は、きわめて滑稽に映るのではないでしょうか。

たかが占いごときに大いに憤っていることから、このような人の「占い」に対する認識は、決してお遊び的なものではないことは理解できます。
あるいはエンターテイメント的なものだと認識しているからこそ、結果を見て楽しむことができなかったからこそ、悔しくて恨み言を言ったのでしょう。

ネット上に氾濫する占いサイトは、エンターテインメントとしてのカテゴリーになっているのですから、大いに楽しむべきであり、真剣に相談するところではありません。

霊感商法のように目ン玉が飛び出るほどの金品を要求されたわけではないのでしょうから、おみくじ的な、あるいは、スピードくじ的な感覚で、スカを引いたくらいの憤りにおさめておいたらいいのです。

ちなみに私は、亀の甲だの牛の肩甲骨だの火であぶってひび割れを見て天意を知る、あのいにしえの占いこそほんとうの占いと認識しています。

占いに対する認識を変えない限り、今後も巷の占いにふりまわされて、要らぬストレスを溜めるだけではないでしょうか。

問題解決のために信頼できる貞人(真の占い師)を探すか、あるいは自分で占術を学び、自分のことは自分で占うようにされたらいいのです。

巷の占いや占い師に依存しているかぎり、今後も
「ちっともあたってないわッ、そんなに外していると地獄に落ちるわよ!」
と叫び続けるでしょう。
省エネと叫ばれている昨今、無駄なエネルギーは使わないようにすることが賢明です。

また、占いの知識はあるけれど解釈の仕方がわからない、自分で自分を占えない方もいます。そういう方はたいがいにおいて、その知識の元となる本とか先生の教えが、理屈にあてはめすぎだからです。

金銭運や能力・適職などをみるのは、四柱推命などが適しているわけなのですが、生年月日時間だけで、『世界にたったひとつだけの花』であるところの自分の個性を判断できるわけがないのは自明なことです。

占いの知識があるにも関わらず、自分の運命をみることができないというのは、その知識に対して、ほんとうの自分が納得していないからです。

つまり、本(や先生)の教えに従って、命式を出し、本(や先生)の教えに従って解釈してみたけれど、なんとなく当たっている ようで……でもなにか違うような……そんな異和を感じるのだと思います。

ほんとうは、自分で自分のことは(深いところでは)わかっているのです。これまで受けてきた教育だとか風俗習慣、風土、県民性、自身の固定観念によって視野が狭くなってしまい、自身も含めて他人や周りのことまで本質が分からなくなってしまったのです。

そこで、それから目ざめるためのトリガーとして、易だの占いだのというものを活用することは大いに推奨するのですけれども、それに依存してしまっては本末転倒というものです。

じぶんがこの世に生まれてきたからこそ命運が発生したのであって、命運にじぶんがコントロールされているわけではないのです。
命運はじぶんが自由にいかようにもデザインできるにもかかわらず、誰から教え込まされたのでしょうか……

占いの帝王と呼ばれる四柱推命の命式とは、運命の原図ともいうべき持って生まれた生命(いのち)の種のようなもので、これこれこのような星(通変や十二運)があるからこんな運命を辿りこんな仕事をするでせう……などという予言の類をするためのものではありません。


龍青三の占いエッセイ一覧
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