56.火山旅(かざんりょ)【易経六十四卦】

易経
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火山旅(旅に出る時/人生行路)

travel:旅行/travelling
困苦欠乏の時なり。
明智の人に従うべし。

窮大者必失其居。故受之以旅。
大を窮むる者は必ずその居を失う。故にこれを受くるに旅を以てす。
盛んになって、大きくなることを窮めた者は、必ず、そのいるべき所を失ってしまうようなことになる。

卦の象は、上の卦は、離の火であり、下の卦は艮の山である。山の上に火が燃えている
形である。これを山火事とみる。山は動かないけれども、火は燃えながら移っていく。
また、野営の火とみる。旅人が、山の上で火を燃やしている。山は動かないが、野営の火は、旅人が旅をして動くにつれて、一緒に移り動いて行く。
動かない山を旅館にたとえ、火を旅人にたとえることもできる。旅館から次の旅館へ、旅人が移り動いて行くのである。これらは、皆な旅行の卦の象である。
この卦は、自分の本拠とする所を去って、他国へ放浪し、一時その所に身をよせることについて説くのである。
旅が楽しいものとなったのは近代になってからのことである。古代の人びとにとって、旅は一大難事であった。交通の不便、宿舎の不備もさることながら、見知らぬ土地、なじみのない人びとの中でただひとり暮らす不安は、現代のわれわれには想像を絶するものがあった。旅舎を転々とする孤独な旅人が象徴するものには、不安定な生活(転居・転職など)、孤独な性格、失恋などがある。
こんなときには無理をしてまで打開しようとせず、焦ることなく受け身で対処することだ。郷に入れば郷に従え。しかも旅人が目的地を忘れないように、内心には自己の理想をしっかり守ってゆく。

全体のムードとして、不安心配、空虚等、複雑な感情の漂うとき。
家庭内が寂しく夫婦や家族の間がうまく行かないとか、会社では人間問題が思わしくなく孤独に追いやられるとか、健康がすぐれないとか、ふところ具合がやけに乏しいとか云った状態が現れる。運勢は衰運で意の如くなる時ではない。
この卦のときは極力自重して、無鉄砲なことや分不相応のことは考えない方がよい。
むしろ精神面のことに重きを置き、日頃の忙しさに取り紛れて考える余裕もなかった自己の性格や思想などを反省してみるとか、何時かやろうと思っていた学問をこの際心に決めて勉強して見るのもよいことである。又、久しぶりに旅をするのも悪くない。
[嶋謙州]

旅は、旅行、旅人であります。昔は旅は大変危険なものでありました。
見知らぬ土地へ行き、見知らぬ人と顔を合わせることは、非常な危険がありました。
そこで、その出発には水杯までしたのであります。
ところが旅には、見聞を広め、知識を吸収することが出来る大きな楽しみでもあります。
そこで旅行中は、軽はずみを戒め、慎重に真摯な態度で終始しなければならない、と教えております。
[安岡正篤]

旅。小亨。旅貞吉。

旅は小し亨る。旅の貞あれば吉なり。

豊䷶を上下反対にした形。この卦は下卦が山、上卦が火、山焼きをしている形。火は、次から次にと燃え移って一刻も止まらない。旅人が心せわしく旅途を急ぐさまに似ている。故に旅という。
風火家人䷤の卦は、内に火を止める象意から家とみたが、この卦はその火が内卦艮の外に離くので、これを旅であるとした。
旅と言ってもそれは物見や遊びで遠出をしているのではない。位を失って家を捨て国を離れているとか、または外交や商取引などのため他国へ出ているというのがこの卦の象意である。だから、大いに楽しむというよりも、憂き思いや不自由な思いを絶えずしているわけである。その辛酸の中に自己を修練し、諸国の風俗を観察したり、知己を求めたりして故旧を復活する基礎を作ったり、困苦に耐えて命を果たし、あるいは商利をもたらすなどが旅の役目なのである。だから、誰しも旅は好んですることではないだが、そうしなくてはならない時に当たってするその意義は大きく、また深刻である
『小し亨る』~そもそも旅に出るということは、常の場所を離れて不安な行動であり、その動機は、多くの場合、国内で用いられないとか、罪を逃れるとかいう失意のことにかかっている。だから大きく亨ることはない。
卦の形からいっても、六五の陰が外で(上卦で)「中」を得てはいるが、それを応援すべき二も陰で、強力な助けにならないから、たかだか小さく亨るに過ぎない。旅に出れば、周囲は知らない人ばかりなので、旅の恥は掻き捨ての心理に陥りやすい。しかしどんな場合にも守るべき正道はある。旅の正しい道を固く守っていれば、寄るべない旅のなかに好運を得られるであろう(=旅貞吉)。
占ってこの卦を得れば、旅に出る。小さい願いごとは通る。旅の正しい道を守れば吉。

彖曰。旅。小亨。柔得中乎外而順乎剛。止而麗乎明。是以小亨。旅貞吉也。旅之時義大矣哉。

彖に曰く、旅は小し亨る。柔外に中を得て剛に順う。止まって明に麗く。ここを以て小し亨る。旅の貞あれば吉なり。旅の時義大いなるかな。

卦辞に、旅は小し亨るというのは何故か。六五の柔爻が外卦の「中」を得て、その上下の剛、すなわち上九と九四に従っている。ということは、柔順の徳のある人が国外に於て、中庸の態度を持し、単に柔順なばかりでなく、剛毅さをも兼ね備えている。それに内卦は艮で止まる。外卦離には明と麗くの徳がある。
つまり止まって明に麗く、静かに止まる徳の上に、明察が附加される。こうした良さがあるので、小し亭り、旅の正道を守れば吉になる。旅の時はむつかしい時である。その時にかなった道(=時義)をふむことは、重大である。
現代の旅行とは異なり、古代は交通手段もなく、旅は不安と危険を伴う辛いものであった。これを現代の状況で考えるならば、やむなく人の家で世話になるとか、出張・赴任等にあたる。
大きなことを望んで旅に出るのでなければ、無事であるという意味。つまり、行き先で多くを望まなければ、普段なら当たり前のことでも、有り難いと思えるもの。

象曰。山上有火旅。君子以明愼用刑而不留獄。

象に曰く、山の上に火あるは旅なり。君子以て明かに慎んで刑を用いて獄を留めず。

の上に火がある。山焼きの火のように、一か所に留まらないのが旅である。君子はこの卦に象どって、明察(上卦離は明)と慎重(下卦艮は止だから慎重)でもって刑罰を実施し、山焼きの火が留まらないように、裁判を滞りなく速決する。
また、これは物事を一箇所に留めずに明察・慎重に進めよという意味でもあり、問題を明解に処理し、未処理のまま留めて置かないことを説く。

初六。旅瑣瑣。斯其所取災。 象曰。旅瑣瑣。志窮災也。

初六は、旅のとき瑣瑣ささたり。れ其の災いを取るところなり。
象に曰く、旅のとき瑣瑣たるは、志し窮まって災いあるなり。

『瑣瑣』はこせこせしたさま。初六は陰柔、気弱い小人物である。しかも最下位におる。つまり身分が賤しいこと。そのような人間が苦しい旅にあれば、一層けち臭くこせこせする。これがその人の却って災難を招く所以である。
象伝の意味は、失意の時にあってこせこせしていれば、雄心ますます消磨して災いを招くということ。この爻辞はそのまま占断である。

六二。旅即次。懷其資。得童僕貞。 象曰。得童僕貞。終无尤也。

六二は、旅のときやどりにく。其のたからいだ童僕どうぼくていを得たり。
象に曰く、童僕の貞を得るは、ついとがなきなり。

『次』は立ち止まる意味から、はたご・宿場・宿舎・『資』はお金。『童』は僮と同じ、しもべ。召使い。
旅においては陰爻を重んじるが、位に当たっている陰爻はこの六二だけである。しかも中を得ているので、旅の良い意味のすべてをこの爻の上にかけている。
旅の途中で最も心安らぐ時は宿に就いた時である。
最も心丈夫なのはたっぷりと旅費を懐中にした場合である。最も頼りになるのは、しもべの正直で忠実なもの(=貞)である。資金を懐中にしても、しもべが不正直だと、咎がありうるが、忠実なしもべを得れば遂に咎はない。
このように旅する者にとって大事なものを全て得ながら、しかし単に『貞』とだけ言っている。旅の時に適うことのみを告げ、吉とは言わず消極的な安穏を語るに止まっている。それは、旅そのものが大いに亨通を得る卦ではなく、乏しきに耐えてわずかに身を保つ事を念ずるもの。それは六爻中、ひとつも『吉』の字がないことによっても解る。
この辞は旅に於ける最もよき状況を示す。六二は柔順(陰爻)で「中正」(内卦の中、陰爻陰位)、旅にあって人の親切を得るだけの徳がある。占ってこの爻を得れば吉。

九三。旅焚其次。喪其童僕。貞厲。 象曰。旅焚其次。亦以傷矣。以旅與下。其義喪也。

九三は、旅のとき其のやどりをく。其の童僕を喪う。貞しけれど厲し。
象に曰く、旅のとき其の次りを焚く、また以ていたまし。旅を以てしもくみす、其の義喪ぎうしうなり。

旅しながら、泊った宿が火事になり、つれていたしもべに逃げられる。九三は剛が剛位におる。剛に過ぎて不安定である。それに二を過ぎて、中庸を得ない。安んずる場所を得ないこと、宿を焼け出されたようなものである。
また下卦の最上位で、人に高ぶるところがある。旅にありながら、このような態度で下の者に接すれば、逃げられるのは理の当然である。旅先においては特に、柔順・謙虚であることが必要だが、九三はそれができない者である。
占断は『ただ貞しけれど厲し』たとえ旅立ちの動機が正しくても、この旅は危険である。象伝の『以』は、已と同じ。『矣』は完了の語気。宿が焼けることだけでもすでに痛いのに、しもべまで失う。

九四。旅于處。得其資斧。我心不快。 象曰。旅于處。未得位也。得其資斧。心未快也。

九四は、旅のときここる。其の資斧しふを得たり。我が心快こころこころよからず。
象に曰く、旅のとき于に処るは、いまだ位を得ざるなり。其の資斧を得、心いまだ快からざるなり。

『資斧』鋭利な斧。旅にあっては柔軟謙遜な態度が望ましい。九四は剛が陰位におる。ということは剛柔の中庸を得ていることである。また四は上卦の最下位に当たる。
すなわち人にへりくだることを意味する。旅人として適わしい徳を具えているので、旅途にあって落ち着く場所を得、露営に必要な鋭利な斧も手に入る。
つまり旅先で不自由はしない。ただし手に処るといっても、陽が柔位におることは、まだ本当に正しい居場所とはいえない。それに上には強力な味方がなく(五は陰)、下に初六の「応」があるとはいえ、これは陰で力弱い。故に資斧を得たにしても、九四の心はなお快しとしない。
ある。占ってこの爻を得れば、羇旅きりょに於て優遇されるが、居心地はよくない。

六五。射雉一矢亡。終以譽命。 象曰。終以譽命。上逮也。

六五は、雉を射て一矢亡いっしうしなう。終に以て譽命よめいあり。
象に曰く、終に以て譽命あるは、上におよぶなり。

『誉命』は名誉と爵命。六五は陰だから柔順。「中」を得ている。また上卦離☲の主たる爻である。離には文明の徳がある。説卦伝によれば、離には雉の象がある。雉は文(もよう)明らかな鳥だからである。
占ってこの爻を得た人は、雉を射て、最初の一本の矢は射損ねてなくすけれど、最後には雉を射止めて、名誉と爵命を得るであろう。ということは、柔順と中庸と文明の徳をもって旅立った人、最初は多少の失費があるけれども、遂には目的を達して、名誉と爵位を得るであろうということ。昔、士が始めて君に仕えるとき、雉を引出物に献上する習慣があった。雉を射止めるとは立身出世の象徴である。
五は普通ならば君位であるが、これば旅の卦だから君ではない。やはり旅人を指す。象伝、上に逮ぶは、雉を射た射術の妙が上聞に達すること。

上九。鳥焚其巣。旅人先笑後號咷。喪牛于易。凶。 象曰。以旅在上。其義焚也。喪牛于易。終莫之聞也。

上九は、鳥く。旅人先りょじんさきには笑いのちにはさけよばう。牛をえきうしなう。凶なり。
象に曰く、旅を以て上に在り、其の義に焚かるるなり。牛を易に喪う、終にこれを聞くなきなり。

『号咷』は泣きわめく、同人䷌九五に『同人先号咷而後笑』とあった。易は疆場、田のくろ、国ざかい。大壮䷡六五にも『羊を易に喪う』とある。鳥は高く飛ぶもの、上九は最も高いところにあるから鳥に譬える。
剛が最上位にあるので、鼻柱強く驕りたかぶる態度を示す。旅にあっては謙譲であって始めて身の置き処が得られる。しかるに上九のような態度では、人に憎まれて、安んずる場所を得られない。例えば鳥がその巣を焼かれたように。上卦離は火であるから焚くという。かくてこの旅人は初めこそ意気軒昂として笑っていたのが、後には身の置き処なく、泣きわめく結果となる。牽いていた牛をも国ざかいでなくしてしまう。
牛は柔順な動物だから柔順の徳にたとえる。柔順の徳を喪失して、国境の外へ出たのでは、その身は危うい。
旅先にいて我が住まいにいるように威張って過ごしたら、人の目につく鳥の巣が焼かれるように、簡単に宿を失ってしまう。牛を見失うように、財産を失ってしまう。
傲慢な旅人は、初めは笑っていても、後には泣き叫ぶはめになる。旅が長くなっても、借宿住まいという立場を忘れてはならない。人の一生も長い旅のようなもの。傲慢にならないように注意すべきである。

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