54.雷澤歸妹(らいたくきまい)【易経六十四卦】

易経
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雷澤歸妹(結婚/松井須磨子)

slow mature:晩成/the marrying maiden:結婚する少女
目前の利益に走るべからず。
末には破れるものと自戒すべし。


カチューシャの唄

進必有所歸。故受之以歸妹。
進めば必ず帰する所あり。故にこれを受くるに帰妹を以てす。

次に進んでゆけば、必ず落ちつくべき所に落ちつくものである。
『帰する』とは、落ちつくべき所に落ちつくこと。『帰妹』とは、若い女が帰ぐことである。ところが、この卦の示すものは正常な結婚ではない。女が積極的になる形である。
若い女(兌)のほうから積極的に年とった男(震)にはたらきかけており、女は待つべきものという常道に反している。また陰爻が陽爻を押さえつけている形であり、男動きて(震)女悦ぶ(兌)、つまり肉体関係だけで結ばれ、愛情の裏付けに乏しいのである。
精神的なものを充実させて、末長い結びつきにまで高めることが必要である。これはひとつのたとえであって、結婚だけにかぎらず、すべてのことにいえることである。


物事意の如くならない時で、ややもすればやりかけたことを投げ出したり、自分だけ取り残されてふさぎ込んでしまったり、また人生をつまらなく感じてやけ酒をあおったり、女に溺れたりするようなことになる。
運勢も多少衰えを見せ始めたときとも見られるが、しかし決して全面的に落ち込んで終っているのではなく、まだまだ挽回の機運も旺盛であり、まして永い間努力して来たこと等は時として陽の目を見ないとも限らず、将来に明るい見通しも残っている。
「大器晩成」という言葉があるが、全然身動きも取れず、又才なしと思われ愚か者とみなされた者でも、じっと耐え、平然と目的に向かって努力して来た者なら、必ず花が開いて来るのである。
もう暫し頑張ってみよう。きっと思いの適う時が来る。
[嶋謙州]

歸妹とは、女が嫁ぐという意味であります。そこで結婚、婚礼の実例をとって卦をといております。大象に。永終知敝―終わりを永うし、やぶるを知る、とあります。
これは末永く続けるということを願い、虫のいい一時的な享楽を考えてはいけない、ということであります。
結婚生活―夫婦は互いに反省をして、どこがいけないか、どうしなければならないかということをよく理解し、行動する。
そうすると結婚生活は永く続き、生活が豊かになる。これが次の雷火豊の卦であります。
歸妹は、結婚生活の永続の心掛けと努力を教えております。
古来格言や、ことわざの中で、一番間違って解釈をしておるのは「女房と畳は新しい方がよい」ということわざである。
これはほとんどの人が間違っております。
女房も新婚のときはいいが、しばらくすると薄汚くなって面白くない、だから女房も畳も新しいのがよいと考えがちですが、とんでもないことであって、私たち日本人の家庭生活で、もっとも大切なのは畳です。
畳の汚れておるのは実に貧乏臭く汚い。
ところが畳は、汚れると表を変えれば台を取り替えずとも常に新鮮である。
畳の新しいのは実に気持ちのよいものである。
女房も年が経って、着物もしゃんと着ない、洗濯も怠る、というようではいけない、これを戒める為に「女房と畳は新しい方がよい」というよい忠言であります。
武藤山治さんの奥さんは、寝巻に一番贅沢をされえたそうです。
薄汚れた寝巻きや、よれよれになった寝巻は絶対に着なかったという有名な話があります。
武藤さんによると「女房が着物や帯の道楽をすると、金がかかるが、寝巻の道楽は安くていいよ」といって、笑っておられたという話でありますが、たいへん味のある話しであります。
[安岡正篤]

歸妹。征凶。无攸利。

歸妹は、征けば凶。利するところなし。

漸䷴を上下反対にした形。兌を下にし、震を上にした卦である。兌を季節に当てると秋だが、秋に震雷が奮い動いているというのは正常なことではない。
これも三陰三陽卦なので、漸䷴の卦と同様、男女の関係に当てているがこちらはその正常さを欠いている意味を見ている。
『歸』の字は、『説文解字』によれば、とつぐが原義である。『帰妹』は妹(末の娘/若い女)を帰がしめる意味、爻辞では熟してとつぐの意味にも使用する。その若い女が嫁ぐのに、正常さを欠いている色々な様相を、この卦の上に見たわけである。
異性の交わりと言うのは、その欲するままに動けば必ず溺れて破れを生ずるので、性欲を制することは大事である。
しかし卦の性を見ると、兌を喜びとし震を動くとし、この卦は悦びのままに動くとも解釈できる。いわば色に淫らになるもので、結婚の道に適っていない。
『帰妹、征けば凶。利ろしき攸なし』~このように快楽を求めて女から進み求めるようでは、凶の甚だしいものである。
若い女が嫁ぐこと自体が悪いのではなく、悦びに動いて進み、求めてはいけない。結婚とは、女から進み求めるのではなく、結納を差し出され、招かれて嫁ぐことが順序である。男女の交わりで悦びを得て動き、悦びによって動かすことを専らにするならば、それは妻ではなく妾である。この卦は、婚姻における正常でない面を見たものだが、それを具体的に示したのが妾というものの存在である。媵妾(ようしょう)の卦とも見ることができる。
下卦は兌☱、少女(末の娘)だから、妹に当たる。上卦震は長男である。少女と長男の組み合わせで結婚の意味が出てくる。この卦の判断、何故に悪いか。少女が長男に嫁ぐことはふさわしくない。少女は少男とこそ結婚すべきである(咸卦䷞)。それに下卦兌は説ぶ、上卦震は動く。女の方から悦んで男に向かって動きかけるのは、夫唱婦随の原則に外れる。それに二から五までの各爻皆「不正」である。故に占ってこの卦が出た場合、進めば凶。何の利益もない。結婚の卦ではあるが、万事についてそうである。

彖曰。歸妹。天地之大義也。天地不交而萬物不興。歸妹人之終始也。説以動。所歸妹也。征凶。位不當也。无攸利。柔乘剛也。

彖に曰く、歸妹は天地の大義なり。天地交わらざれば、万物おこらず。歸妹は人の終始なり。説んで以て動く、帰ぐところはまいなり。けば凶とは、位当らざればなり。利するところなきは、柔剛に乗ればなり。

帰妹すなわち結婚ということは、陰と陽の交感であり、天地の常理である。天地が交わらねば万物は発生しない。同様に男女結婚しなければ後嗣ぎが生まれない。その意味で、帰妹は人倫の終り(結婚は女の終り)であり、始め(出産は人の始め)である。
以上は卦辞の凶なる内容に触れることなく、結婚ということの概論である。
女性が嫁に行くのは、妻としての人生の始まりである。しかし、若い女性のほうから夢中になって嫁いでいくのは始まりの立場を誤っている。ここでは男女の婚姻に喩えているが、何事も始めが肝心である。一時の感情で意気投合し、お互いの立場(位)を弁えずに始めたものは、結局、成り立つことはない。
この卦は説んで☱、動くが、生憎悦び動くのが、帰ぐところの少女である。これは女の道に外れる。征けば凶とは、二から五までが「不正」だからである。利するところなしというのは、三と五が柔爻でありながら剛に乗っている、つまり妻が夫を尻に敷いているからである。

象曰。澤上有雷歸妹。君子以永終知敝。

象に曰く、沢上にらいあるは歸妹あり。君子以て終わりをながくしやぶれを知る。

『敝』は衣の破れ、ひいて事の失敗。沢☱の上に雷☳、雷が動いて沢がそれに随っている。帰妹(結婚)の象がある。若い女性を喩えに出すのは、幼い一時的な感情で動く傾向があるから。そのようにして始まった婚姻は、長くは続かず破局すると教えているのである。婚姻に限らず、一時の喜びや、有頂天になって動いた事物は後に必ず破れる。冷静になって、長く続くことは何かと考えてから行動するようにすべきである。
君子はこの卦の象を見て、長い目で終りを見通し(=永終)、不正な結婚が必ず失敗すること、結婚以外のことでも始めがよくないと終りに崩壊することを知る。

初九。歸妹以娣。跛能履。征吉。 象曰。歸妹以娣。以恒也。跛能履吉。相承也。

初九は、歸妹ていを以てす。あしなえにしてむ。征くときは吉なり。
象に曰く、歸妹娣を以てするは、つねを以てするなり。跛にして履むの吉なるは、相いくればなり。

『娣』は、『説文』に夫を同じくする女弟いもうととある。春秋時代の諸侯が娶る場合、正夫人の妹を介婦わきぞえとして同時に娶る風習があり、衛の荘公、晉の献公など、例が多い。
初九は帰ぐの卦の一番下、地位が低い。上には正当の「応」がない(四も陽)。つまり正妻になれない。それで娣のイメージが出て来る。
『帰妹娣を以てす』は姉の介婦として嫁ぐ意味。同じ嫁ぐにしても身分が賤しく、たかだか君の命令を承け、身のまわりの手助けするに止まる。あたかもびっこの足で辛うじて踏み出すようなもの、遠くまで勢力範囲を及ぼすことはできない。しかし初九は剛爻、女の身で陽剛の徳があることは恆常的な徳、貞節を意味する。それに、少女が長男に正妻として嫁げば弊害があるが、介婦にへりくだって嫁ぎ行く分には吉である。占ってこの爻を得た人、前進するのに吉。

九二。眇能視。利幽人之貞。 象曰。利幽人之貞。未變常也。

九二は、すがめにして視る。幽人の貞に利あり。
象に曰く、幽人の貞に利あるは、いまだつねを変えざるなり。

『眇能視、跛能履』と履䷉六三にあった。『幽人』は隠者、履䷉九二にも見えた。
九二は陽剛で「中」を得ている。女に於ては堅い操と中庸の徳ある賢女である。上に六五という正当の配偶(応)がある。
しかし六五は陰柔、小人で、しかも「不正」(陰爻陽位)。賢女であっても、かような悪人に連れ添ったのでは、内助の功も遠大なものになり得ない。眇で物をよく見ようとしても、視力が遠くに及ばないようなものである。
占ってこの爻を得れば、『幽人の貞に利あり』~孤高の隠者として自己の正義を貫くのがよろしい。九二が悪い相手(六五)に理解されぬままに、その恆常性、貞節を変えない点が、幽人に似ているからである。

六三。歸妹以須。反歸以娣。 象曰。歸妹以須。未當也。

六三は、歸妹以てつ。かえかえりてていを以てす。
象に曰く、歸妹以て須つは、いまだ当らざればなり。

『須』は待つ。六三は陰柔で、強固な貞節を欠く。「不中」(二を過ぎた)「不正」(陰爻陽位)。
下卦兌、説ぶの主たる爻。しかし応もなく、位も当たらず、中も得ておらず、兌の主爻として情慾の悦楽を専らにする卑賤な性向なので、嫁いで正しく家を保つことなど思いもよらない。妻として当たらない者なので、正常な結婚を思い返して、妾として再び嫁いでいくというわけである。
女の方から悦んで嫁きたがるのは淫乱である。誰も娶ろうとはしない。故に帰妹以て須つ帰ごうとして、長く待たねばならぬ。正妻としては嫁きどころがないので、一旦実家に帰って、介婦として出直せば、嫁きどころがあろう。象伝、未当は「不正」と同じ。

九四。歸妹愆期。遲歸有時。 象曰。愆期之志。有待而行也。

九四は、歸妹期きまいきすごす。遅くとつぐにときあらん。
象に曰く、期をすごすの志しは、待つことあって行かんとなり。

『愆』は過。九四は陽剛、女にあっては堅い節操を意味する。下に「応」がない(初も陽)。ということは配偶者がないこと。
この女は節操固く、軽々しく人に許さない。それで『帰妹愆期』~嫁ごうとして適齢期を過ぎてしまった。しかし九四が時期を失した動機は、適わしい相手の出現を待って嫁こうということであった。嫁ぐことを好まないから嫁がないのではなく、嫁ぐべき正当な相手がないために嫁がない。だから、時が経って正当な相手が現れれば結婚する。
とにかく賢女である。遅くに帰ぐぶんには、必ず嫁ける時があろう。

六五。帝乙歸妹。其君之袂。不如其娣之袂良。月幾望。吉。 象曰。帝乙歸妹。不如其之袂良也。其位在中。以貴行也。

六五は、帝乙妹ていいついもととつがしむ、そのていそでの良きにかず。月もちちかし。吉なり。
象に曰く、帝乙妹を帰がしむ。其の娣の袂の良きに如かざるなり。其の位ちゅうに在り、を以て行くなり。

『帝乙帰妹』は䷊六五にも見えた。帝乙は殷の帝王の一人。君は女君、帝乙の妹。『月幾望』は小畜䷈上九に見えた。満月に近い。
六五は陰が五の君位におる。つまり天子の娘である。六五は下卦の九二に「応」ずる。ということは天子の娘が臣に降嫁する象。そこで『帝乙帰妹』~帝乙が妹娘を嫁がせるという。
ところで六五は柔順(陰爻)、中庸をふむ(上卦の中)。徳が高く、身分が貴いものだから、綺羅を飾る必要は毛頭ない。それでこの帝の娘の着物の袂は、介添えの妾の着物の袂ほど美しくはない。着物こそ地味であるが、その女性としての徳はおのずと光り輝く。満月近い月のように。月は陰だから、婦徳に譬えた。その心を飾らず、驕らず、嫁ぐ家に従うという決意ができていることを示している。控えめで慢心しない姿勢は満月に程近い月のように美しい。
象伝の意味は、五に「中」の徳があり、貴い身分で嫁ぐのだから、衣裳などは一向に構わないということ。占ってこの爻を得た女性、支度は貧しくとも婦徳あれば、吉。

上六。女承筐无實。士刲羊无血。无攸利。 象曰。上六无實。承虛筐也。

上六は、女筐じょかたみささぐるになし。羊をくに血なし。利するところなし。
象に曰く、上六なきは、虚筐きょきょうを承ぐるなり。

『女・士』は若い女(兌)、若い男(震)。帰妹と言わず『士』と言い、『女』と言っているのは、卦の終わりにあって、すでに婚約したところに当たるからである。
『筐』は竹で編んだ籠で、花嫁の手箱、舅姑に見えるときの引出物、棗や栗や乾肉を入れる。『刲』は割く。羊を割くのは合卺ごうきん床盃とこさかずき)の御馳走に用いる。
上六は陰柔、堅い徳がない。帰妹とつぐの卦の行き詰まりにあって、下に「応」がない(三も陰)。つまり配偶を得られない。婚約は交わしたものの、結婚は成立しない。強いて結婚したとしても、すぐ離縁になるだろう。その前兆は恐ろしくも判然としている。娘が嫁入りのときに捧げ持つ手箱にはなかみがない。花婿たるべき男が婚礼の儀式のために羊を割けば、不吉にも血が出ない。占ってこの爻が出たら、何の利益もない。

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