33.天山遯(てんざんとん)【易経六十四卦】

易経
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天山遯(退避・隠遁/撤退・ロスカット・解脱)

retirement:引退/retreat:退却/withdrawal:撤退
三十六計逃げるにしかず。
今はただ雑念を払い力量の充電に努めるべし。

物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。
物は以て久しくその所に居るべからず。故にこれを受くるに遯を以てす。遯とは退くなり。
物事はいつまでも久しくその所に止まることはできない。
遯は、隠遁する、逃れ、退き避けるという意味。また豚と通ずる。豚は逃げ足の早い動物である。
物事が発展する頂点に達した時、その時に衰退する微かな兆しが生ずる。
それはまだ微小であって、大きな勢力ではないが、やがてはっきりとした形をとるようになる。
遯竄とんざん:逃げ隠れること。運が衰えている時、立場に恵まれていない時、どんなに正論を説いても通らない。

宋の大学者、朱熹が天子の侍講であったころ、権臣:けんしん:韓侂冑かんたくちゅう専横せんおう弾劾だんがいする上奏文を提出しようとしたことがある。それを知った弟子たちが、師の危険を恐れて諫止かんししたが、聞き入れられず、ついに占筮によって決することにした。そのとき得たのが、この遯の卦である。
朱熹は黙って退き、上奏文を焼き捨ててそれ以後隠遁したという。
遯の卦はのがれてこそ道が開ける。運気が衰えて、時流われに味方せず―こういうときには、さっさと退くことが最上の道である。


定年退職のとき、永年やってきた事業や商売を止めねばならぬとき、又子供に家督をゆずるときなど、職を離れたり、或ることから身を退いたりするときである。
低運ムードの時だから何事も消極的ににいかねばならず、絶対に我欲を出したり、強硬な姿勢で進んだりすることはいけない。
無理に進めば一敗地にまみれること火を見るよりも明らかである。
人間引き際が肝心とも云われるが、未練たらしくならぬよう、また卑屈にもならぬよう、いさぎよくさっぱりした態度で終幕を飾りたいものだ。
しかし、老後のささやかなことや、生活の為の転職、また最小限必要な身の振り方は許される範囲内で進んでよいだろう。
要するに、天運利あらず、ここは一旦退くのが正しい形態と見るべきである。
[嶋謙州]

咸と恆は結びの卦でありますが、天山遯は解脱の卦であります。ところが人間には、結びがあればそこに解脱というものがなければなりません。つまり男女、夫婦は結合だけではいけない。どこかに解脱するところ、超越するところがなければなりません。
遯という字は普通は「のがれる」という意味に解釈します。もちろんそれも一つの意味ですが、この遯は非常に深い意味がありまして、消極的な意味ではありません。だから解脱と訳すの一番よいと思います。
遯の卦も互卦は天風姤であります。
古来から雅号に遯の字をつけた人が多い。たとえば朱晦庵―朱子が遯翁と号しております。
日本でも徳川時代の初期に宇都宮遯庵という人がありますが、非常な大学者で、立派な人でありました。
政治家や、実業家などが、日曜になると、朝早く起きて、わざわざ遠い所まで行ってゴルフをやる。これもやはり遯のひとつです。つまりひとつの解脱であります。
易は創造―クリエーションの道であり、理論であり、学問でありますから、どこまでも積極的でなければならない。
遯も消極的な隠遯でなく解脱であります。
[安岡正篤]

遯。亨。小利貞。

遯は、亨る。小貞しょうただしきに利あり。

『遯』はのがれる。退避、逃げ隠れるの意味。通の字と通用する。これはいわゆる消息卦で、陰(小人)が下に成長して陽(=君子)が退避しようという形である。そこで遯と名付ける。六月の卦。
『水雷屯』の悩みは、若い暗昧を切り開く建設的なものだったが、こちらは邪に基づく世の中の暗昧から身を守るための保全策である。
九五の陽剛が君位にあって、下に六二の応援がある(九五と六二は応)から、まだ世を救う努力をなしうるかに見えるが、何ぶん小人が二爻もあり、なおも伸びそうなので、君子としては遯れざるを得ない時である。
判断として、亨るといい、小貞しきに利ありという。小は陰、小人を指す。泰の卦辞、『小往大来』の小もそれである。つまり占断は相手によって二つに分れる。
この卦を得た人が君子ならば、隠遯するがよい。華やかな世間から消えるけれども、その浄らかな操守を貫き通すことができる。それが亨るである。
問う人が小人ならば、貞しきに利あり~正道を固く守るがよい。勢いが伸びつつあるからといって、嵩にかかって君子を圧迫してはならないのである。

彖曰。遯亨。遯而亨也。剛。當位而應。與時行也。小利貞。浸而長也。遯之時義大矣哉。

彖に曰く、遯は亨る、しりぞいて亨るなり。剛くらいに当って応ず。時と行くなり。小貞しきに利あり、ようやくにして長ずるなり。遯の時義大じぎおおいなる哉。

『遯』は退避、隠遁の意。非常なる危険が迫っている時は素早く退避すべきであり、また、隠遁すべき時は地位や財産を捨ててでも退き、時期の至るのを待つべきである。
『時義』は、それぞれの卦の代表する時間と意義。『義』は刀をもって伐る、裁くこと。つまり、逃れる時は、自分の身を伐るような決断を要す。
遯卦が亨ると判断されるのは、遅くことによって君子の清い気持ちが享るのである。
九五の剛爻が「中正」(五は外卦の中、陽爻陽位で正)の位にあり、下卦の「中正」六二と「応」じている。この九五の態度は、必ずしも隠遯ばかりしようというのでなく、時の動きと並行して、或いは政権につき、或いは隠遯する柔軟な生き方を示す。小利貞とは、小すなわち陰が、水の浸すようにだんだん伸長して来る時なので、陰に対して、貞しき道を守れと戒告するのである。すなわち小人の漸進する時に、君子が身を処すること、最もむつかしい。隠避を意味するこの卦に現わされる時間と、その意義と、大きなものがある。
大体、中国では隠遯ということを讃美する傾向がある。老荘は最も甚だしい。儒家は経世済民理想とするので、政治に情熱的であるが、それでも余りにも乱れた世には、あっさりと背を向ける。政治というものを汚い仕事とする観念が共通にあるようだ。朝廷で編纂した歴史の中に、隠遯者の列伝が堂々と載せられるのも、儒家にさえある、隠遯讃美の通念によるのである。

象曰。天下有山遯。君子以遠小人。不惡而嚴。

象に曰く、天の下に山あるは遯なり。君子以て小人を遠ざく、にくまずしてげんなり。

この卦は天の下に山がある。天の高さは無限である。山はいくら高くても有限である。山が天に近づこうとしても、天は一歩遯いて近づけはしない。そこでこの卦を遯と名付ける。君子はこの卦に象とって、小人を遠ざけるけれど、それも相手を憎悪して遠ざけるのでない。自分を律する態度が厳しくて、小人のほうで近づくことができないのである。
小人を遠ざけて逃れるためには、自分一人だけが清いなどといって相手を憎み、遠くに追いやって近づかないように避けるのでは、かえって怨まれる。そのように人に厳しくするのは間違っている。むしろ自分の道を厳しく守るという姿勢を持って接すれば、小人は自然に遠ざかっていくものである。

初六。遯尾。厲。勿用有攸往。 象曰。遯尾之厲。不往何災也.

初六は、遯尾とんび、厲し。用て往くところあるなかれ。
象に曰く、遯尾の厲き、往かずんば何の災いかあらん。

遯は『良からぬものから退き逃げる』について説かれた卦である。
普通ならば初爻は始めであるが、これは遯れる卦である。下から見れば、先に逃げた者が上の爻になり、初爻はその最後尾に当たる。尾は尻尾から後尾の意味になる。つまり初六は遯くべき時に、まごまごして一番後になった者。小人の栄える世を逃げ遅れたのでは、危ういことは当然である。
占ってこの爻が出たら、積極的に何かの行動をしようとしてはいけない。韜晦とうかいして静かに時節のめぐり来るのを待っていれば、災いに遇わずにすむであろう。

六二。執之用黄牛之革。莫之勝說。 象曰。執用黄牛。固志也。

六二は、これをとらうるに黄牛こうぎゅうつくりかわを用てす。これを説くにうる莫し。
象に曰く、執うるに黄牛を用てするは、志しを固くするなり。

『執』はくくる、しばる。説は脱と音義とも同じ。『勝』は任にたえる、できるの意味。六二は逃げ遅れたというわけではなく、あえてその場におる。やらなくてはならないことがあるから一目散には逃げず、そこに留まるのである。

六二は「中正」であり、上卦の九五に柔順に「応」じている。中正の徳があるだけに、身を深く守って隠遯しようという志は固い。順う相手の九五隠遯の志があるからなおさらのことである。六二の志の固さは、まるで黄牛の革(しっかり繋ぐことができる丈夫な革)で縛りつけたようで、何人もほどくことはできない。黄は中の色。牛は柔順。六二の「中」と、九五への柔順さを象徴する。占ってこの爻を得たら、自分を固く守って、世に出ようとしないがよい。

九三。係遯。有疾厲。畜臣妾吉。 象曰。係遯之厲。有疾憊也。畜臣妾吉。不可大事也。

九三は、係遯けいとんす。やまいあり厲し。臣妾しんしょうやしなうときは吉。
象に曰く、係遯の厲き、疾あってくるしむなり。臣妾を畜うには吉、大事になず。

『係』は係累の、かかずらう。『臣妾』は奴婢の意味、これが古い用法。『憊』は困憊こんぱい
九三は、陽であって、下の二陰爻に身近く接している。陰と陽は引き合うものである。九三は、決然と世を遯れるべき時だのに、下の二陰、すなわち女子小人に係わり、後ろ髪ひかれて、思い切れない。それを係遯という。
このようであれば、疾あって厲し~まるで病気にかかったように疲労困憊するに至る。危ういことである。しかし、この爻が出た場合、奴婢を養うことはよい。なぜなら奴婢は単に身辺の雑務をするだけのもの、自分が隠遯しようというとき、彼らはあっさりと去るであろうし、係累となることはないからである。
占ってこの爻を得たら、病気にかかって危うい。奴婢を養うことについて問うた場合、この爻が出れば吉。大事について問うた場合、この爻が出たら、してはいけない。

九四。好遯。君子吉。小人否。 象曰。君子好遯。小人否也。

九四は、好遯こうとんす。
象に曰く、君子は好遯するも、小人はしからざるなり。

『好』は去声、このむ。九四は初六の陰(女子小人)と「応」じている。しかし、九四は剛爻であり、上卦乾の一部、乾は健、つまり剛健な性格である。心に好む相手がありながら、決然として世を遯れるますらおぶり、それが好遯である。
克己心の強い君子だけにできることで、小人には不可能。そこで占ってこの爻が出たら、問う人が君子ならば、占断は吉。小人ならば吉ではない。

九五。嘉遯。貞吉。 象曰。嘉遯貞吉。以正志也。

九五は、嘉遯かとんす。貞しければ吉。
象に曰く、嘉遯貞吉なるは、志しを正しくするを以てなり。

『嘉』は美、うるわしい。退き方・逃げ方が速やかで美しい。五は普通は君主であるが、この卦は隠遯を説くので、君位にかかわらない。九五は陽剛で「中正」、下には六二が相応じている。六二も「中正」で、自分に柔順(陰爻)である。
九三の場合のような係累とはならない。されば九五は飄々として世を遯れることができる。隠遯の嘉きかたち、嘉遯である。しかし五という位置は、上の位に比べては、まだ世間内にある。その志の正しく持続的であること(=貞)が終りを全うするのに必要である。そこで判断辞として貞しければ吉という。占う人が剛毅であり、心正しければ、吉。悠々自適の生活を楽しむことができよう。

上九。肥遯。无不利。 象曰。肥遯无不利。无所疑也。

上九は、肥遯ひとんす。利あらざるなし。
象に曰く、肥遯利あらざるなきは、疑うところなければなり。

『肥』はゆったりと余裕のある意味。悠々と余裕をもって退き逃げ去ることができる。上の位、普通の卦では、過度、行きづまりといった悪い意味を含むことが多い。しかし、階級でいえば上は五の天子の上、政治界からはみ出した無位の場所、隠者にぴったりした地位である。さればの卦に於てはこの爻が最もめでたい。この世間外に位置する上九は、陽で剛毅である。下に「応」がない。ということは係累がないこと。俗世間を離れること最も遠く、係累がないので進退に些かも嫌疑を持たれることはない。ゆったりとその隠れ家に自得していられる。これを肥遯という。占ってこの爻を得れば、利あらざるなし。

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