離為火(附く・続いて昇る太陽/煌めきの時)
farewell:別離/fire
運気盛大なり。されど移ろいやすき象なり。
慢心すべからず。謙虚であれ。
陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。
陥れば必ず麗くところあり。故にこれを受くるに離を以てす。離とは麗なり。
困難な状況に陥れば、必ず何物かに付着して落ち着くものである。麗は、付く、付着すること。
離とは、火、太陽を象徴する。また明であり、知性である。燃えつくことから、付着することでもある。この卦は上下とも☲(離)であり、いやがうえにも明るい太陽、火のような情熱、そして明晰な知性を表わす。自己の立場にしっかり根を据えて(付着)、能力をあるかぎり発揮すべきときである。
離の卦は、真ん中の陰が、二つの陽に付いている。
この一つの陰が、上の陽爻に付けば、下の陽からは離れなければならない。
下の陽に付けば、上の陽爻からは離れなければならない。両方に、同時に付くことはできない。一方に付けば、他の一方からは離れなければならない。そこで、付くという意味と同時に離れるという意味も出てくる。
火は、もともと形の無い物である。何か他のものに付着して、そこではじめてその形が現れる。全ての物は、何かの物に付いて、はじめてそのはたらきをすることができる。それが大きなはたらきをするには、正しいところに付いている必要がある。
人が付くところのものは、その人がどういう人に付いているか、どういう人と親しんでいるか、どういうことを仕事としているか、どういう活動に付いているか、どういう考えに付いているか等々、その人に付くところのものを、充分に見きわめることが大切である。
華やかな中に一抹の寂しさを秘めている卦です。
「会えば別れ」のたとえ、他人ならず自分も又いつかは人生の終局を迎えねばならない。映画やドラマなら甘酸っぱいセンチメンタリズムの酔いながら別離のシーンを鑑賞できるが、実際自分に置き換えて見ると、こんな切ない気持ちは二度と味わいたくないし、全くたまったものではない。
運勢は昇りきってぽつぽつ下降状態を見せ始めたとき。
表面は賑やかなようでも、なんとなく孤独っぽく寂寞を感じ、とかく人と別れたり、面白くないことが起こる。
こんな時は物事を深追いせず、ほどほどにして、やりかけていることは早い目に片付けて置いたほうがよい。
決して調子に乗ったり、無責任なことはしないようにくれぐれも慎むこと。
[嶋謙州]
坎為水を裏返した錯卦であります。上卦、下卦とも火でありまして、火は何ものかについて初めて炎上し、火としての特性を発揮する。また離は、はなれるとともにつくという意味があります。
この火の従うという性質は、人事で申しますと、人が何につき従うかということでありまして、慎重に正につき従うことを考えなければなりません。
これによって吉慶を得ることができるのであります。
[安岡正篤]
離。利貞。亨。畜牝牛。吉。
離は、貞しきに利あり。亨る。牝牛を畜う、吉なり。
正道を固守すれば思いは亨る。牝牛のような柔順さをあわせ持つことが大切である。
彖曰。離麗也。日月麗乎天。百穀艸木麗乎土。重明以麗乎正。乃化成天下。柔麗乎中正。故亨。是以畜牝牛吉。
彖に曰く、離は麗なり。月日は天に麗き、百穀草木は土に麗く。重明以て正に麗く。乃ち天下を化成す。柔中正に麗く、故に亨る。ここを以て牝牛を畜うときは吉なり。
象曰。明兩作離。大人以繼明照于四方。
象に曰く、明両たび作るは離なり。大人以て明を継ぎ四方を照らす。
初九。履錯然。敬之无咎。
象曰。履錯之敬。以辟咎也。
初九は、履むこと錯然たり。これを敬むときは咎なし。
象に曰く、履錯の敬みは、以て咎を辟けんとなり。
六二。黄離。元吉。
象曰。黄離元吉。得中道也。
六二は、黄離。元吉なり。
象に曰く、黄離元吉なるは、中道を得ればなり。
九三。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。凶。
象曰。日昃之離。何可久也。
九三は、日昃の離なり。缶を鼓ちて歌わずば、大耋の嗟きあらん。凶。
象に曰く、日昃の離なり、何ぞ久しかるべけんや。
九四。突如其來如。焚如。死如。棄如。
象曰。突如其來如。无所容也。
九四は、突如それ来如。焚如、死如。棄如。
象に曰く、突如それ来如、容るるところなきなり。
六五。出涕沱若。戚嗟若。吉。
象曰。六五之吉。離王公也。
六五は、涕を出すこと沱若たり。戚いて嗟若たり。吉なり。
象に曰く、六五の吉なるは、王公に離けばなり。
上九。王用出征。有嘉折首。獲匪其醜。无咎。
象曰。王用出征。以正邦也。
上九は、王以て出でて征す。嘉きことあり首を折く。獲ることその醜にあらず。咎なし。
象に曰く、王以て出でて征す、以て邦を正すなり。
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