21.火雷噬嗑(からいぜいごう)【易経六十四卦】

易経
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火雷噬嗑(噛む・刑罰/トラブルシューティング)

obstacle:障害/biting through:噛む,通り抜ける
前途に障碍あり。断乎として排除すべし。
艱難辛苦を耐えて、後望みは達せん。

可觀而後有所合。故受之以噬嗑。嗑者合也。
観るべくして後合うところあり。故にこれを受くるに噬嗑を以てす。嗑とは合なり。

仰ぎ見ることができて、その後にはじめて一緒になろうとするようになる。
仰ぎ観られるほどのものであってこそ、人々が慕いよって相いう、という。噬は噛む。嗑は上顎と下顎とが合うこと。噬嗑は、かみあう。口の中にある物を噛みくだいて、上顎と下顎が合することである。二つのものが一緒になろうとすると、それを妨げるものがでてくる。それを噛み砕いて合同するのが噬嗑の卦である。この妨害となるもの障碍がなんであるかをよくよく明察することが重要である。

いろいろと内輪喧嘩や揉め事、ちょっとしたトラブル等の見られる時。
運勢は決して悪くないし、何でもやっていくことの可能なときでもある。
それにもかかわらず途中で不愉快なことがあったり、摩擦や障害があったりする。
しかし、決してひるんではならず、堂々と渡り合うべきである。
この卦がでたときは、幾分引っ込み思案になったりおじけづいたりするが、悪びれず積極的にぶつかって行くこと。永い人生だから、その途中で少々の争いやごたごたのあることくらい覚悟は出来ていても、やはりいざとなると余りいい気持ちはしない。だがこれを乗り切らないといい目はでないもの。いやだからといって放っておくと傷は深くなるばかりで、何時までたっても運勢の転換のないことを心から知っておいてもらいたい。
[嶋謙州]

好事魔多しと申しまして、何事につけても順調にいくと、また邪魔物や妨害が出てくる。
そこでこれを粉砕、処理しなければならないという卦がこれであります。噬嗑とは噬み口盍わすという文字であります。つまり飲み込んではいけない、充分に咀嚼する、物事を十分考えて処理しなければならないということであります。
[安岡正篤]

噬嗑。亨。利用獄。

噬嗑は、亨る。獄を用うるに利あり。

噬嗑の嗑は、口をとると蓋という字になるが、鍋の蓋のようにその器に具合よく合わせる。噬のほうが積極的・能動的であるのに対し、嗑のほうは付和随行的な働きで、外卦の離のほうに当たる。
この噬嗑卦の形は、山雷頤に似ている。山雷頤䷚の二陽は上顎と下顎、中間が空であるから、口を大きく開けた形を示す。卦名もまさにおとがいである。火雷噬嗑は、山雷頤の頤の中間に陽爻(九四):異物がひとつ挟まっている。これを噛みくだいて始めて、上顎と下顎とかみ嗑わさる。そこでこの卦を噬嗑と名づける。つまり、頤中に物のあるのが噬嗑というのではなく、その異物を噛み砕いて上頤と下頤が噛み合うようにする、その努力のこと、その作用のことを噬嗑とするわけである。
占ってこの卦を得たら、思うこと必ず亨る。すべて、享らないというのは、邪魔ものが介在しているからである。この卦は邪魔ものを噛みくだいて合わさるから、享る。それに、口の中の邪魔ものを噛み切るという印象は、刑罰(=獄)に連なる。刑罰は国の中の邪魔者を斬り捨てるものだからである。
刑罰を明らかにし、法令を整える信賞必罰の理。牢獄に入れ、しっかりと噛み砕くように裁き、問題を解決すべきである。
この卦の下半分は雷、上は火で明の徳がある。雷のごとき威嚇と、太陽のごとき明察とは、刑罰の必須条件である。それに、刑罰が中らないと、民は手足の措きどころがない。罪と刑と中ることも不可欠である。この卦の中心、六五は、柔爻ながら外卦の「中」を得ている。
噬嗑卦は、威嚇、明察、中の条件を具えているから、刑罰を行なうにふさわしい。然るべき徳を有する人がこの卦を得たら、悪人を裁くがよい。

彖曰。頤中有物。曰噬嗑。噬嗑而亨。剛柔分。動而明。雷電合而章。柔得中而上行。雖不當位。利用獄也。

彖に曰く、頤中に物あるを、噬嗑と曰う。噬み嗑せて亨る。剛柔分れ、動いて明らかなり。雷電合して章らかなり。柔中を得て上り行く。位に当らずといえども、獄を用うるに利あり。

口のなかに物が挟まっている形が噬嗑の卦名の由来である。それをみくだき、わせることによって、亨るようになる。これがなぜ刑罰に適しているのか。この卦は三陰三陽の卦、剛と柔が半分ずつで、剛柔のよろしきを得ている。下卦の震は動く、上卦の離は明、行動力と明察とを兼備している。それに下卦は雷、上卦は火、いなずまである。雷と電と合すれば、あたりは震えおののき、一面に明るくなる。刑罰の、威嚇と明察に当たる。柔中を得て上り行くとは、卦変である。噬嗑は益から変化した。益の六四の柔が上って行って、五の「中」を得、五にもと居た陽が四に下れば噬嗑になる。噬嗑六五は柔爻が陽の位におる点、「不当」だけれども、「中」を得ている点で、刑罰を実施するのに適している。それで、獄を用うに利あり。

象曰。雷電噬嗑。先王以明罰勅法。

象に曰く、雷電あるは噬嗑なり。先王以て罰を明らかにし法をととのう。

と電とは、いつも相い伴なっている。雷と電と嗑うという点で、噬嗑の名を得た。雷は威があり、電は明らかである。古代の王者は、この雷電のイメージにもとづいて、刑罰を明らかにし、法律を整えた。

初九。屨校滅趾。无咎。 象曰。屨校滅趾。不行也。

初九は、かせいてあしやぶる。咎なし。
象に曰く、校を履いて趾を滅る、行かしめざるなり。

校は枷。屨は履きもの、履く。趾は足首。滅は傷つける。火雷噬嗑は『障害を打ち砕いて和合一致させる道』について説かれた卦だが、それぞれの爻の意味は『罪人と罪人に刑罰を与える役人』として書かれている。
初と上とは、位のない人を指すことが多い。この卦では初と上が刑を受ける人。二から五までは爵位ある人で、刑を加える側。『礼記』に「刑は大夫にのぼらず」というように、刑法は庶民を対象とするからである。
初九は、刑罰の卦の最初に当たる。罪は微罪で、刑も軽い。校をはめられるぐらい。爻の位置が一番下だから、校をはめる個所も趾である(足枷)。屨校滅趾~校を足に着けて足首を傷つける。凶に似てそうではない。繋辞伝にこの辞を引いて「小さく懲らして大いに誠む、これ小人の福なり」というように、悪を初期において止めてくれる点で、咎なしという。占ってこの爻を得れば、少し傷つくことがあるが、咎なきを得よう。象伝、行かしめざるなり。足枷をはめるのは、歩かせないため、つまりそれ以上悪いことをさせないためである。

六二。噬膚滅鼻。无咎。 象曰。噬膚滅鼻。乘剛也。

六二は、はだえんで鼻をつくす。咎なし。
象に曰く、膚を噬んで鼻を滅すは、剛に乗ればなり。

膚は肉の外皮の柔かく噛みやすい部分。祭りの供物に、柔かい肉を器に盛ったのを膚鼎という。滅は浸没の意。
初九と上九は、頤が噛み合わさるように人の身体を傷めつける木具、枷としての象をとっておるが、二爻から五爻までは頤の中にあって噛まれるものである。雑卦伝に『噬嗑は食ふなり』とあるように、その食餌、肉食の象である。
六二は「中正」(二は内卦の中、陰爻陰位は正)、つまり刑罰は罪に中り、裁きが正しい。だから罪人を裁くこと、柔かい肉を噛むようにたやすい。
しかし六二が今下にふまえている相手、初九は、剛爻である(象伝)剛情な悪人であるから、よほど手痛く噬んでやらないと懲りない。そこで自分の鼻がずっぷりとめりこんでしまうほど深く、柔かい肉の中に噬み入る。相手が剛情なので、これほどに噬んでも、咎はない。占ってこの交を得れば、悪人を厳しく懲らしても構わない。

六三。噬腊肉。遇毒。小吝。无咎。 象曰。遇毒。位不當也。

六三は、腊肉せきにくを噬んで、毒にえり。小しく吝、咎なし。
象に曰く、毒に遇うは、位当らざるなり。

腊肉は小鳥など小動物の全体を骨つきのまま丸乾したもの。骨付きでスジもある硬い肉。乾肉だから古い肉でもある。
六三は柔弱(陰爻)なうえ、「不中」(二でない)、「不正」(陰爻陽位)刑罰中らず、判断正しからぬ人が、他人を裁いても、相手が屈服する筈はない。言葉に毒を含んでいたり、ののしったり必ず劇しい反抗に遇うであろう。罪人に操られたり、愚弄されたりする危険があるわけである。これはたとえば堅い乾肉を噬んでいて、毒にあたるようなものである。
占断としては小吝、小さい恥であるが、今は噬嗑~邪魔ものを噛みくだく~の時であるから、罰を行なうこと自体は悪くない。そこで答なしという。占ってこの爻を得た人、事を行なって意外の抵抗に出会い、少し面目を失うが、大過はない。象伝、位不当は「不正」と同じ。

九四。噬乾胏。得金矢。利艱貞。吉。 象曰。利艱貞吉。未光也。

九四は、乾胏かんしを噬んで、金矢きんしを得たり。艱貞かんていに利あり。吉。
象に曰く、艱貞に利あり吉、いまだおおいならざるなり。

胏は骨つきの肉。乾胏は腊肉よりさらに堅い。金矢は黄金の鏃をつけた矢。
九四は君位(五)に近く、噬嗑の任に当たる者である。卦の半ばを過ぎて、邪魔者は大きくなり、それだけ刑罰も厳しさを益す。抵抗が強いので、乾胏を噛むのに譬える。
しかし幸運にも、堅い骨つきの肉を噛んでいるうちに、肉の中に射こまれていた金の鏃を噬みあてた。金は剛の象徴、矢は直の象徴、九四が剛直で(陽爻)、よく刑罰の任に耐えることを示す。けれども刑罰を用いるのに軽々しくあってはならない。常にその事を困難なものと考え(=艱)、正道を固守して(=貞)、始めて利があり、吉を得るであろう。
大体九四は、剛であって明(外卦の離は明)。剛明だ果断に過ぎる惧れがある。そこで困難さの自覚(=艱)が要求される。柔位におるから、情に流され易い。そこで正道の固守(=貞)をもって戒めとする。この爻は噬嗑にあって最も良いが、艱貞を条件にするだけに、その道は広大とはいいがたい(象伝)。
占ってこのを得る人は、抵抗はあっても、よい結果を得るであろう。ただし事を侮らず、正を守ることが必要である。

六五。噬乾肉。得黄金。貞厲。无咎。 象曰。貞厲无咎。得當也。

六五は、乾肉かんにくを噬んで、黄金を得たり。貞厲ていれいなるときは、咎なし。
象に曰く、貞厲咎なきは、とうを得ればなり。

乾肉は膚よりは堅いが、腊や胏よりは軟らかくて、噛みやすい。
六五は柔順な性格(陰爻)で、外卦の「中」、その刑罰は中るであろう。しかも五は君位。君権によって人を刑罰するのだから、相手は容易に屈服する。そこで乾肉を噬むという。
しかもめでたいことに肉の中の黄金を噬みあてた。黄は中の色(土の色が黄。土は五行で中央。坤六五参照)、金は剛の意味で九四を指す。
つまり裁きが中り、剛直な大臣の補助があることを象徴する。しかし、刑罰は危道である。正道を固守し(=貞)、自から戒懼(=厲)して、始めてなきを得よう。占う人、これを戒めとすべきである。象伝、当を得とは、「当位」「正」のことでなく、「中」におり、四の剛を用いて、正道を守り、戒懼することが、当を得ているのである。

上九。何校滅耳。凶。 象曰。何校滅耳。聰不明也。

上九は、かせにないて耳をやぶる。凶なり。
象に曰く、校を何いて耳を滅るは、そう不明なればなり。

何は荷と同じ。滅は傷つけほろぼす。聡は耳のよくきこえること。上は爵位なき位置、刑を受ける者。上九は刑罰の卦の極点におる。卦の極まる所なので、極刑である。悪極まり、罪も最大になる。繋辞伝に「悪積って掩うべからず、罪大にして解くべからず」というのは、この爻のことである。
首枷を背負わされて耳をつぶすような目にあうのも当然である。特に耳をつぶすのは、平素、人のいうことを聴きいれなかったことを罪するのである(象伝)。
占ってこの爻が出れば、重い刑罰にかかる。凶である。

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